視察報告

日台英雄のミャンマー訪問 平成19年5月27日

駆け足ミャンマー紀行

 軍事政権下にあるミャンマー(ビルマ)については国際的に孤立しており、経済状態から医療事情その他、全てが曖昧模糊としている。Fresenius社全社をあげてのRRT(renal replacement therapy)調査でも透析を受けている患者数や移植患者数についても不明となっており、私どもNPOがターゲットとしているインドシナ半島のカンボジャ、ラオスと同様である。

このため今回は連休後半の5月3日から7日まで5日間にわたり観光ツアーに便乗してミャンマーでのRRT現状を垣間見ることができた。
 概地方に詳しい小旅行会社で一人でも良いとの(ミャンマー-バガン5日間の旅)が空いているとの事をインターネット上で知り、5月はミャンマーへの旅行者にとり最悪の暑気(最高40度)兼雨季(平均湿度80%)であることも知らずに予約を取った。

 一つにはミャンマーは軍事政権下にあり、目的が観光でないとビザが出にくいのではないかと考えたことと、また今までに仏教3大遺跡のうちの2つ(アンコールワットとボロブドール)は訪問してるので後一つのバガン遺跡におまいりをしたいことーーー父親と母親は熱心な仏教徒であったのでーーーもあった

 ミャンマーにくわしい方を探していたところ、CEの岡本次長からニプロ国際事業部;岩崎憲義さんを紹介され、岩崎さんからはヤンゴン市のニプロ代理店;ミャンマーユタニ社の小丸社長が適当であるとの推薦を受けた。

 小丸社長は信義に厚く、医師や軍部にも親友がある方で、小丸さんがいたおかげで今回のミャンマー行きは成功したのだと思っている。

 岡本次長のすじとは別に、私は実は全く面識もない同地の在ミャンマー日本大使館医務官あて、透析に詳しい人物を紹介してほしい旨のFaxを送ったところ、直ちに乳井医務官より透析医のDr Thwinを紹介されて感激。

 旅程表ではバガンから土曜日にヤンゴン市へもどってからヤンゴン市内観光予定のところを一人だけのツアーのため、無理をいってキャンセルし、小丸さんの尽力にてプライベートのBahosi総合病院の腎センターーーーといってもわずか3床しかなく、なんと月から土、日までモーニング、アフタヌーン、ナイトと1日3シフト体制で1回4時間、週2回の透析をこなしているーーーを見学した。

 透析室は清潔で、水処理装置はイオン交換樹脂やRO装置などで全て日本に匹敵するものであった。透析室は実質上看護婦により運営されていた。

 その後、私の宿泊していたホテルにてヤンゴン総合病院腎臓内科部長のHtay教授、Dr Thwin, 小丸さんと彼のGeneral Manager 《日本語は完璧で、又、理系大学卒のためCE以上の知識を持ち、メンテナンスを受け持つ》及び私の5人にて会食した。その折に、ミャンマーでは既に1990年から透析が行われていること、又血縁関係のドナーからの生体腎移植は36名に行はれている等のRRT情報が得られ、且つ機器の不足のため週7日、3シフトでこなしても、尚且つ週2回しか透析可能であり、しかも1回の透析にドルを支払いできる金持ちかまたは軍のお偉方とその家族しか受けるわけには行かないという実情を知った。

  350人の透析患者数は4,300万人の人口からすると8.1/100万人で、ベトナムの24/100万人と比較すると約1/3となる。両国とも確かに日本の2000/100万人とは比べようがないものの、インドシナ半島での比較では、よりミャンマー国のほうが緊急の支援を要していることがわかった。

 バガン遺跡では、幸いにもうす曇で28度から30度程度の気温で、又、ヤンゴン市へ戻ってからも傘をさすような雨は一度も降らず、今回のミャンマー旅行は本当についていた。

 バガン遺跡は、実に広大な平原の中になんと4000-5000の仏教遺跡が散在し、パゴダが林立している様は見事で、三大仏教遺跡の中ではもっとも広大であり、ざっと見て歩くだけでも最低、1週間はほしいところであった。

 エーヤワデイ《イラワジ》川に船を浮かべてエンジンを切り、流れに身をゆだねて両岸のパゴダや夕方の水浴びをしている人々を眺めていると、近くのマンダレーやミッチーナ(ミートキーナ)で英軍機甲師団に蹂躙され、全く一方的に殺害された日本軍の数万名のことが頭に浮かんできた。

NPO法人 いつでもどこでも血液浄化インターナショナル
事務局長 日台 英雄

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